このまま帰るわけにはいかない

アメリカまで来て、無情にも、再び私は野球から引き離された。独立リーグのトライアウト初日、張り切って臨んだ60ヤード測定で、私はハムストリング(太ももの裏側)を肉離れしたのだ。この日のために1年間アルバイトをして、トレーニングをして、誰に何と言われても自分の信念を貫いてきたつもりだった。当初は落ち込むこともあったが、どんなに考えても、騒いでも、誰も助けてくれなかった。

「このまま帰るわけにはいかない」。私は日々、そんなことをつぶやくようになった。この国にいるだけで、所持金ばかりが減っていき、成果の出ない日々にいらだつこともあった。たまに友達がくれる国際メールと電話が、嬉しくてたまらなかった。でも、怪我をして、何もできない日々を送っていることだけは誰にも言えなかった。

それから一週間。アメリカ人の明るさと、何をするにも初めての経験と失敗の連続、こんな日々にドキドキし、再び私は前向いていた。買い物、お金の使い方、そして食事など、自分だけでは何もできないことばかりだった。そして、毎回店員を困らせる私を見かねた選手が、いつも助けてくれるようにもなっていた。

「最高にcool」なジョーンズ

「最高にcool」だと思っていたジョーンズ

当時アメリカのヒップホップ文化に憧れていた私は、身体が大きく、編み込んだ髪の毛で野球をするジョーンズを慕い、いつも彼と行動を共にしていた。彼の「ちょい悪」感は、当時の私にとって最高にcoolだった。

ある日、彼は私に注射器を見せてきた。その中身はステロイド、日本では、絶対的にタブーなものが目の前に現れた。私は決して手を出すことはなかったが、残念ながら、当時の私の周りのアメリカ野球界では当たり前のように使われていたことも事実だ。

そんなジョーンズはある日、日本円を見せてくれと言ってきた。私は見せるだけならと思い、千円札を見せた。すると、返すから1日貸してくれというのだ。何度も断ったが、しつこいので千円ならと思い、彼に貸した。数日後、彼は何事もなかったようにお札を返してくれた。

それから数週間後、彼は「明日家族が来るから日本円を貸してくれ」と頼んできた。千円ならと思い、千円札を差し出すと、一万円札を見せたいというのだ。当然、私は断った。しかし、彼のその日のしつこさは異常で、仲間を呼んで証人まで準備してきた。最終的に、私は一万円札を貸し、明日の朝一で受け取りにくると約束した。

一万円札とともに消えた親友

親友だと思っていたジョーンズ(左)と肩を組む、19歳当時の色川さん(中央)

そして翌日、まさかの結末を迎えた。最高にcoolなジョーンズがいないのだ。彼の部屋には荷物もなかった。ルームメイトに尋ねると、「ジョーンズはもうヒューストンに帰った」と言うのだ。私は、一万円を失った悲しさよりも、親友だと思っていた友達を失ったことが悲しかった。

そんな初渡米は、アメリカ野球を目の前に、指をくわえることしかできない日々だった。それでも、野球関係者にしがみつき、すべての人に「また来る」と誓い、メールアドレスを聞きまくった。近いようで、遠かった憧れのアメリカ野球。その後、帰国を余儀なくされ、アメリカ野球初挑戦の旅は、ほんの一カ月ちょっとで幕を閉じた。

Respectfully,

TOMA